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SPOT NEWS NO.22(2004年度) |
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学校礼拝特別プログラム 公開講演会開催 |
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| 10月19日(火)学校礼拝特別プログラムとして、ペシャワール会代表の中村哲医師による公開講演会が「最近のアフガニスタン情勢から-命の水を確保せよ-」と題して、黒澤記念講堂で行われました。 会場は、一般市民や学生、教職員で一杯となり、スクリーンに映し出されたペシャワール会の活動、テレビニュースなどでは見ることのできないアフガニスタンの現状を見ながら、熱心に中村氏の話に耳をかたむけました。 |
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講演会は、学校礼拝の特別プログラムとして、高橋一宗教主任の司式により行われました。 中村氏は、「私たちの20年間の活動について、何をやってきたのか、何を見たのか、何を聞いたのかをそのままご紹介してメッセージとします。」と活動について講演しました。 ペシャワール会とアフガニスタンという国について ペシャワール会は、アフガニスタンとパキスタンの国境にあるペシャワールという町を拠点に、アフガニスタンとパキスタン北部に4つの診療所を持ち、現地職員150名、日本人職員5名、で年間16万人の診療を行っています。さらに、アフガニスタンは、かつてない大干ばつに見舞われていて、「水源確保計画」というのをジャララバードという支部で進めています。具体的には、飲料水源の確保、灌漑用水など、農地の回復を目的に現地職員約100名、日本人職員10数名、作業員を入れると約1000名弱の人々が活動しています。これを支えるのが日本のペシャワール会で、年間2億6-7千万円の経費は全て募金、会員数は12,500 名です。こういう人々の支えによって、現地の誠実なワーカーたちとの好意がうまく噛み合って、我々は活動しています。 アフガニスタンは、貧富の差が大きいということも強調したいと思いますが、日本で報じられるニュースは、アフガニスタンの中では特殊な地域、首都カブールの映像しか入ってきません。アフガニスタンの命は、遠く離れた農村に生きていて、9割以上の人々は農民や遊牧民です。彼らの声は届かないのが現状です。 医療活動 私達の活動は、1984年5月、日本キリスト教海外医療協力会の派遣員として、ミッション病院のライ病棟に赴任したのが始めです。2400名の患者に対してベッド数は16床。よく医療は、「物や金ではない。」と言いますが、「物や金だけでなない。」が現実で、物や金も必要なのだ、ということでペシャワール会の活動も活発化し、現在に至っています。 また、いかに現地の人々を理解するか、医療行為一般は相手のことがよくわからないと臨床医学は成り立ちません。異なった習慣を、良いとか悪いとか、優劣をつけ自分達の価値観で裁いてしまうことがありますが、これでは、うまくゆきません。彼らには彼らの泣き笑いがある。それを無視していきなり外国人が暴力的に習慣を変えようとするのは良くない。というのが、私達の鉄則で、この患者にとって幸せなことはいったい何なのか、ということを探って準備する。これが臨床医学です。 戦乱 1988年ソ連がアフガニスタンから撤退しますが、内戦は一向に収まらず、湾岸戦争がはじまると、国際団体は危険地帯ということで、逃げてゆきました。取り残されたアフガン難民は決定的な不信感を外国の諸団体に持ってしまいます。 1992年アフガニスタンの共産政権が崩壊すると、戦場は農村から都市に移り、農村に平和が戻り、都市は戦乱という状況になります。しかし、これによって、難民だった農民達がいっせいに帰還をはじめ、270万人いた難民のうち約200万人が独力で帰還したのです。 私達は、難民の自発帰還に合わせるように、次々と診療所を開設、また、ハンセン病にの問題に取り組み続ける為に、それまでバラバラだったアフガニスタンとパキスタンの医療活動を統合しペシャワールの医療福祉法人としてペシャワール会医療サービス病院を設立、現地に定着させる方法をとりました。私達の活動は、国際協力でなく地域協力であるという考えです。 そして、さぁ、これからという時に世紀の大干ばつが襲ったのでした。 |
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| 高橋 一 宗教主任 | |||
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| 中村 哲 氏 | |||
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| 水源確保計画 2000年5月、WHOの発表によると、アフガニスタンの人口の半分以上にあたる約1200万人が被災し、500万人が餓死、100万人が餓死線上にあるとされ、繰り返し警告を続けましたが、これに対する国際的な反応・支援はほとんどありませんでした。 私達の診療所の周りでも、残った村人を総動員して井戸を掘り、水源を確保するという仕事を始め、2000年7月から現在まで約1200本の水源が確保され、少なくとも自分の村で生活できるようになりました。 しかし、飲み水だけでは食べてゆけないので、灌漑用水にも手をつけるようになり、アフガニスタンの伝統的な灌漑方法のカレーズを更に深く掘り進め、現在38ヶ所のカレーズが再生されています。 こうして私達が手掛けた地域では、1万名が帰還するということがありました。わたしは、この状態を世界は見放さず、そのうち大量の難民支援が押し寄せるだようと期待していましたが、やってきたのは、国際援助ではなく国連制裁。100万人が餓死寸前という中で、食糧品目まで制裁しようとするのは、許しがたいことでした。 私達は、「いのちの基金」を呼びかけ集まった数億円の募金から1億円で、1800トンの小麦と食用油を現地に送りました。この活動は、タリバンが撤退するまで続けられました。 |
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| 今思うこと 私が20年いて、思うことは、「この人達に何かしてあげたい」と思うことが悪いわけではないが、助かったのは自分たちではないかということです。豊かになればなるほど人間の顔は暗くなるというのが実態です。 私達人間にとって、最後まで本当に大事なものは何なのか、自分を照らすものを大切にする気持ちを失わなければ、幸せはどこにでも見つけられるというのが、私の体験です。 |
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| <講師紹介> プロフィール:1946年福岡市生まれ。医師。 ペシャワール会現地代表。PMS(ペシャワール会医療サービス)総院長。 国内の診療所勤務を経て、1984年パキスタン北西辺境州の州都のペシャワールに赴任。 ハンセン病を中心としたアフガン難民の診療に携わり、その活動について、全国各地で報告会・講演会を行っています。 著書には、 『ほんとうのアフガニスタン』(光文社)『ペシャワールにて』『医は国境を越えて』(石風社)『アフガニスタンの診療所から』(筑摩書房)『ほんとうのアフガニスタン』(光文社)『医者よ、信念はいらない まず命を救え!』(羊土社)などがあります。 |
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