我が国の獣医学にも法医学に相当するような分野が絶対に必要!−鳥騒動の現場から
浅川満彦 (酪農学園大学獣医学部感染・病理部門)
(Zoo and Wildlife News No.22 より転載)
背景
 トラウマは、まず、ロンドンで
 ロンドン大学Royal Vet専門職大学院・野生動物医学MScコースのD単位「感染症と疾病調査」では,forensic veterinary medicine(FVM)概論が開講され,賑やかでウイットの効いたジョン・クーパーがその講義を受け持っていた。が,少なくとも2001年春の時点では,残念ながら,彼のほかの担当科目(烏類,爬虫類.無脊椎動物などの医学をアフリカ体験や有名人との交友録など織り込んだ)に比べればはるかに地味で,クラスの関心度も今一つであった。ローテンションの空気を覚ったジョンは,ハイランド地方のどこかで見つかった猛禽の変死体について,考えられうる死因をクラス全員に答えてもらおうと提案した。双方向の授業形式が,クラスの活性化に有効であることはMScコースでも一緒なのだ。
「Ok,ロドリコ,君からやってくれ」
 リスボン出身の好青年に先陣の白羽の矢が立った。ハングオーバーなのか,はたまたデートで徹夜だったのか,奴さん,教室最後尾で寛いでいた。が,ラテン系の快活な発表にクラスを大いにわかしてくれた。当然である。世界各地で既に多くの経験をしているマスター参加者は,30代そこそこではあっても,経験豊富。自身の個人体験を話したくてウズウズなのだ。ロドリコが終わり,次第に前席に送られていく。
 しかし,言語的な障壁と若さを静かに失いつつある極東のオヤジにとっては,まさに拷問。それに,件のオヤジ,折悪しく,その日に限り,最前列に座っていた。非常にまずい。あせる一方で,14名のクラスメートはネタ(死因)をどんどん消費していく。こうしてFVMは,私のトラウマになった。

 そして、今.死因解析トラウマは一層深刻に
 そして今。文部科学省ハイテク・リサーチ「酪農学園大学野生動物医学センターWAMC」で,病原体・汚染物質サンプリング担当に任ぜられている(Asakawa and Taniyama,2005)。このニュースレターでも,長氏が環境省の「野生烏類の大量死の原因となり得る病原体に関するデータベースの構築」が紹介しているが,こういった仕事では不可欠なハードである。
 材料は死体。しかし,その死因解析が目的ではない。繰り返すが,病原体・汚染物質の保有状況の把握が目的である。もちろん,見つかるものが,生体に高い病原性を示すことが知られるものでは,死因との関連性は高いだろう。だが,私の任務ではない。
 そのはずであったが,死因解明が目的の死体が運ばれることが多くなった。かなり当惑している。大部分の死体は,処理数が膨大になるので,マイナス20度に冷凍保存されている。そのため,病理組織の標本としては不適格。サンプリング作業中に肉眼所見を得ているので,病理学が専門ではない私でも,ある程度の死因も推察できるし,まれに新鮮な死体がくれば,病理の同僚教員に助けてもらって,結論を出すことも可能だ。
 しかし,野生種である。そんな良い死体は望めない。死体が運良く他の動物の餌にならなかったとしても,野外に長時間放置され,誰かに回収されたこと自体が僥倖である。WAMCに届くまでの頃には,内臓は塩辛かスルメ。
「オヤジをいじめるのはやめれ!こんなもんで何がわかる!?」とはいえず,さらに静かに,鬱々とトラウマに苛まされ続けているわけである。

本文の目的
 そもそも,「塩辛・スルメ」様の死体から,その死因を探る法医学に相当するような分野が獣医にはない。医療過誤や法制度に密接に係わる医学では,法医学が不可欠である。最近の獣医療であっても事情は似ているはずなので,無い方が不思議なのだが…。
 とりあえず.野生動物医学では死因解明が最優先事項なので,塩辛やスルメからでもデ一タをとらねばならぬ。この冬の知床・油汚染海烏漂着あるいは旭川・スズメ大量死のような事態に一度でも巻き込まれれば,誰しもその社会的要請の強さが実感できる。
 人為的な事故,動物間の新興感染症の発生,油汚染や薬剤の散布など,環境犯罪ともいえるような事態は今後も間違いなく発生する。次は,内地だ(北海道では,もう懲り懲り)。そのためにも,旧い死体を用いた死因解明の仕組みを本学会が主体となり,早急に整備すべきであることを喚起することが本拙文の目的である。

野生動物の死因とそれを探るための準備
死因を記載する:死因を記載する場合,次の4つに分けられる。
1)形態変化:頭蓋骨骨折,内臓破裂など
2)機能障害:窒息,失血など
3)外因的なもの:火傷死,凍死,溺死,農薬中毒死など
4)症候に重点を置いたもの:ショック死など
人為・非人為的な死因:特に,野生動物の場合の死因としては、自然生態系における営みの一環としての非人為的なもの,直接・間接的あるいは意図的・非意図的に人間活動が関与する人為的なもの,根本的発生要因が人為・非人為なのか判らないものの3つに分けることが実際的である。

1)非人為的要因:寿命,被食−捕食関係,火山ガスによる中毒死,明らかに人為的要因ではない怪我,感染症,飢餓,異常な高温や寒冷など(注:ただし,温暖化,過度の開発,捕獲圧による近親交配・遺伝的多様性喪失による抗病性低下による日和見感染症など究極的には,人間活動が係わることも多い)。

2)人為的要因:狩猟・駆除などの合法的殺戮,密猟などの非合法的殺戮,交通事故や構造物への衝突など人間の生活域での事故(感電,放射線障害も含む),人為的導入種・外来種による捕殺や感染,牧草地における草原性鳥類卵・雛に対しての殺戮,漁場における混獲など,通常,人間が恒常的に生活の場としていない場所での事故,鉛・農薬・重油・融雪剤などの自然環境への放出による中毒などの障害,赤潮やボツリヌスなど人為的改変や温暖化に伴う生物中毒,給餌場における生息密度上昇によるサルモネラ症発生など。

 野生動物対象の獣医療に係わるものとしては,傷病鳥が入院時に家畜・家禽から院内感染した病原体が放鳥により自然界に持ち込まれ感染症死した例,油汚染の海鳥を淡水環境で飼育したため塩類腺が退縮,その状態で海に放鳥されたため高濃度塩分に耐えられずに死亡した例,廃棄された生ワクチン接種後の野外遺棄された家禽死体を摂食し,弱毒株ウイルスに感染した死など。

3)要因不明:多くの感染症。たとえば,エウストロンギリデス症の起因寄生線虫は,水鳥類の幼若鳥で致死的腹膜炎を起こすことが知られるが(Friend and Franson,1999),その線虫の分布がその地域にもともと生息していたのか,それとも待機宿主である養殖魚とともに入ったのか,もはや判らなくなっている。ある寄生体が在来種(自然生態系の存在)であることを決める根拠は,生物地理学的な解析以外にはないが(浅川,2005),我が国に生息する寄生虫の多くでは,その作業がもはや困難なのである。
 複数の要因:野生動物について,意図的に銃殺や薬殺されたもの以外,複数の要因が死因になりうる可能性があると考えた方がよい。たとえば,風力発電の風車へ衝突したとされるワシ類の剖検依頼を環境省から受けたことがある(浅川ら,2004)。確かに,体が腰部で真っ2つにされ,内臓を撒き散らしながら落下したと想像されるような死体で,風車衝突が直接的な死因であろう。ただし,現場を見ておらず,送られた死体しか見ていない私ができるのは,剖検所見の記録であり,そのような結論は出すべきではない。もちろん,蓋然性が非常に高いので,衝突が主因としても,健康な個体ならば回避できたものが,低レベルの感染あるいは中毒でそのような回避行動がとれなかったかもしれない。しかし,事故が起きた現時点で,そのことまで言及することは難しい。そのためにはサンプルを蓄積し,標本数がある程度蓄積された時点で比較検討することが,野生動物の死因を明確にするための基本的な仕組みである。

証憑標本:疫学調査では,動物と寄生体は,当該宿主−寄生体関係がある時空間に存在したことを示す証憑標本を保存することが提唱されている(浅川ら,2005)。
 1)個体レベルの死因解析で:野生動物の正確な死因解明を行う場合,比較が必要である。これは,野生動物ではヒトや家畜と異なり,基本的なデータが蓄積されていないので,死因決定の根拠が薄弱であることが第1の理由。また,当該案件が,油汚染事故や意図的大量死を目論んだ薬物散布など,いわば環境犯罪を立件する裁判資料となることが第2の理由。より正確な死因の追求が科学の進展とともに可能になることがあるので,その時点までサンプルを残して待機することが、第3の理由。特に,野生動物医学におけるforensic veterinary medicineは端緒についたばかりであり,今は原因不明でも,近い将来解明することが多いはずである。
 2)個体群あるいは種レベルの死因解析で:以上述べたことは,いずれも個体レベルに係わるものであった。しかし,野生動物にとって,将来の当該個体群や種の保全がもっとも重要な事象である。一晩で死体の山を築く,あたかもストレート・パンチ型の病原体(高病原性インフルエンザウイルス,アヒルペストウイルスなど)による感染症は個体レベルの問題である。
 しかし,繁殖能力や免疫機能にじわじわ働き,長期的なモニタリングでなければ検出できないような個体群サイズの漸減を起こすボデーブロー型の病原体(蠕虫類やマレック病ウイルスなど)も存在し(以上,浅川,2004),むしろ,後者は個体群動態に密接に関連するので保全医学的にはより重要な意味を持つ。このようなことの実証的な研究が,長期的なサンプリングによる比較検討によりもたらせられる。そのために,証憑標本の保存の意義がある。
 なお,ボデーブロー型の病原体には,決してそれだけでは個体レベルの主要な死因とはならずとも,補助的な死因になるものも含む。また,たとえば,エイズウイルス感染により免疫能が低下して,クリプトスポリジウム症の日和見感染的に重篤な下痢が続き,これが直接的な死に直結することがある。

寄生体・化学物質検出は常態であるという思考の必要性:野生動物では,臨床的に健康な個体であっても,寄生体や化学物質は検出されてまったく不思議でないことを念頭に置く。日和見感染で間題となる病原体は,症状を示さないで不顕性感染しているものが多い。たとえば,スズメの若鳥では致死的なアトキソプラズマ症が報告されているが,健康な成鳥からもオーシストが多数検出されることがある(福井ら,2004)。蠕虫類は,野鳥ではほぼ全例で寄生の確認ができようし,その他の寄生体は日本の野鳥で記録されているものだけでも夥しい(Asakawa et a1,2002)。
 また,自然界に人工の化合物は満ちあふれている。野生動物が餌台などで摂食する穀物で農薬を使っていないものはないだろう。たとえ,農薬を使わないで栽培したとしても,別の畑から紛れ込むことはあるだろうし,流通の過程で防カビ剤や殺鼠剤などの微量な混入は避けられない。
 おそらく,寄生虫感染あるいは中毒死が疑われた野生動物の死体のほぼ全例から,何らかの寄生虫なり化学物質は見つかるだろう。だからといって,「ビンゴ!」こいつが死因だと短絡することは,厳に慎みたい。
 死因とするには,実験動物への感染あるいは投与実験をして決定することになるし,野生動物の場合,適当な実験動物からの準備から始まるので,そのゴール(=死因とする根拠を得ること)までのあまりに遠い道のりに,まず,気が遠くなる。

死因を追求する科学とその必要性
病理学と法医学:ヒトの医学で,死因を追求する分野は,大きく分け病理学と法医学があろう。両者が扱う材料には大きな差異がある。すなわち,病理学は死後変化がほとんどない新鮮な死体を,一方,法医学ではきわめて古い死体をも対象にする点である。もちろん,法医学でも,比較的新鮮な死体を扱うこともあろうが,殺人事件や事故などが衆人観衆のもと展開されず,ある程度の時間がたって死体が発見されるので,必然的に材料は古くなる。死後の経過期間のより正確な推定法が重要な課題の1つですらある。
医学体系で法医学が必要な理由:手がかりが少なくなっていく古い材料を相手に,「他殺なのか自殺なのか,その方法は何か,事故なのか病死なのか,死後どの程度たった死体なのか」などといった科学的根拠を追い求める。このあたりは,達筆な専門家による随筆とそれに基づく小説やドラマも多数あり,その中身も自ずと理解されよう。もちろん,こういった題材のドラマが人気を博する理由は,ヒトの死体という強烈な材料と「アッ!」と驚くような結論の意外性に惹きつけられるのだろう。が,この科学が単なる好奇心を満たすために存在するのではない。人間社会の必要性から必然的に生じたからなのである。そして,必然性のほとんど全てが,人問の生きる権利の法体制に関わるので,この分野をlega1あるいはforensic medicineと呼称されている。
法医学的な分野が獣医学に存在しない理由:厳しい法体系を含め,ヒトの古い死体を取り巻くような絶対的な必要性が,これまでの獣医学では存在し得なかったからである。高額な愛玩動物対象の保険制度も登場し,また,罰則規定を盛り込んだより厳しい愛護法も施行され,当該分野の必要性の素地はできつつある。もし,事件性を秘めた動物の死体が新鮮ならば,獣医病理学の守備範囲であろうが,犯罪は,おおぴらには実行されない。これは法医学の背景と同じである。死後変化を起こした動物を目の前に,現行の獣医学では為す術がないだろう。
 また,私見であるが,きわめて恵まれすぎた条件の死体を扱ってきたことも,当該分野の誕生を阻害してきたのかも知れない。獣医学は家畜や愛玩動物を村料的基盤とする。こういった動物はト殺あるいは安楽死され,獣医病理学ではそのような大変新鮮な死体を入手してきた。材料の条件だけを考慮すると、ヒトの病理学よりも比較にならないほど恵まれている。ひいては獣医病理学では,古い死体など検討に値しないという土壌を醸成したことも背景にあるのかも知れない。
 そもそも,従来の獣医学では野生動物を対象としてこなかったので,その死因を深く追求する動機は皆無であった。80年代後半から獣医学でも,比較生物学の独自性を模索するにつれ,徐々に多様な生物種を対象にするようになったこと,医学・保全生態学と連携し保全医学として生態系も視野に入れるようになったことから,野生動物の研究事例や救護症例が急増し、必然的に,野生種の死因についても目が向けられた。その代表的な事例が,水鳥や猛禽類における鉛中毒であり,行政とNGOとの非常に良い連携体制は,関連の法令化にまでこぎ着けた。しかし,鉛中毒は,その原因追求が大変明瞭な疾病であり,ほかの多くの野生動物の死亡例は死因不明なのである。
野生種死因の多くが不明となる:野生動物は人間の管理下にないので,冒頭に述べたように,新鮮な死体が発見される機会が少ない。また,死体自体がスカベンジャーの餌源となっており,死体自体発見されるいことが希なのである。そして,前述のように,獣医病理学では古い死体は対象外。ゆえに,多くの野生種の死因が不明となるのである。一般の人々は,獣医学,あるいは獣医師は動物の死について全知全能者のような存在であるような恐ろしい誤解をしている。泣き言に聞こえるかも知れないが,まず,この限界を世間に理解してもらいたいものである。
法医学的な分野の必要性:が,社会情勢が完全に激変した。獣医学,特に野生動物医学では,法医学的な分野が不可欠となった。半ば腐った野生動物の死体が運び込まれ,死因追求を厳しく求められる現実からは,もはや逃げることはできない。想定される死因を列挙し,人間社会に不安を与えるような原因から高い優先順位をっけて,消去法で絞り込む。たとえば,2004年2月,西日本の家禽で発生した鳥インフルエンザ禍では,野鳥の死体に過剰に反応した道庁は,住民の不安除去を目的とした簡易検査を本学に依頼し,正式運用直前のWAMCでこれを実施した(浅川・谷山,2004)。幸い,陰性であったが,このようなWAMCにおける社会的な貢献は,それ以後も続いたが,特に,この冬の事例は比較にならないほどの緊急度の高いものであった。

なぜ,牛大学に野鳥が来る?
 内容に踏み込む前に,「酪農一本槍」の本学にこういった委託が来るようになった経緯を少し説明する。
 2001年10月,道央地方美唄市郊外の宮島沼で,元気沈鬱な国の天然記念物マガンが本学動物病院に入院した。治療の甲斐無く死亡したが,このマガンからマレック病ウイルスによる腫瘍病変が発見された(酪農大野生動物医学グループほか,2001)。これがきっかけとなり,水鳥類についてはその死因解明が本学に委託されるようになった。それまでの10年以上の間,傷病鳥類の死因解明は,北海道大学獣医学部比較病理学教室が一手に担ってきた(現在は梅村孝司先生が主任教授)。
 その間,本学は,酪農一本であったし,今も基本的には同じである。だから,生産調整で牛乳が廃棄されている今日,本学としては野生動物どころではない。しかし,社会不安を取り除くことも獣医学の使命。道庁としても,北大への負担軽減も配慮したのだろう。そのような経緯から海鳥が本学に搬入されるようになったし,2004年度からはWAMCも立ち上がり,堂々と野生動物も調べられるようになった。

事例その1.「知床」油汚染海鳥類の死因分析
道庁の電話はいつでも緊張もの:本年2月下旬の夜中,道庁環境生活部で野生動物担当のMさんから,大学に電話があった。勝手なもので,こういう時は,本当にダイレクトインというものを恨む。
「アライグマ冬期捕獲の報告書を早いところ出せの督促だろう」遅延の言い訳を考えながら受け答えしていると,知床半島沿岸に漂着した海鳥9体を送るから,すぐに死因を調べろという。なんと,送料も道庁が負担するという!逼迫した道財政で「元払い」とは,相当深刻な事態であることを示すのだ。学長宛の正式依頼文書が送られ,きちんとした報告書が要求される。一挙に憂鬱になるが,「年度末の宿題を遅らせる言い訳に使えるな」などとイケナイことも考える。受話器の向こうにこんな小狡いオヤジいるとは,Mさん,想像もつかなかったろう。
混獲?:最優良漁場であるこの時期のオホーツクでは,数万羽単位で死んでいるはずなので,真っ先に「混獲」を思いついた。うちの新入生ですら知っている常識的なことで,この冬だけに限っても(前年の仕事納め翌日!),ある港町で数十羽の混獲海鳥が遺棄されていた。調べた死体のどれにも絡網跡が翼角に残っていた。この手は直ぐに結論が出る。が,なんと,送り状にある種名と死体のそれとは異なる!WAMCでは可能な限り証憑標本を保存しているが(浅川ら,2005),(正しい方の種名では)所管役所が異なるので適切な処理をしてくれという。後述のスズメ騒動の最中,その処理でこちらは消耗した(お願い:野生動物行政に係わる皆様,烏の基本的な分類と生態はおさえておいください!)。

油で死んだ?or死体に油が付いた?:話を知床に戻そう。Mさんによると,死体にはどれも黒色の油が付着しているという。油が付着して死んだという蓋然性が生ずるのは,自然だが,前述のように(混獲)死体となった後,油が付着したのかも知れない。そのことを確かめよう。
 そこで,新鮮な死体のウミスズメ類5個体の外貌を丹念に調べたが,翼や頸部に絡網を示すキズはなかった。他の動物による食跡すらない。油で真っ黒だが,ほかはきれいな状態である。家保やうちで,喉頭・クロアカの拭い液により,市販キットでインフルエンザの検査をする。陰性。堂々と胸部から腹部の皮膚を切開する。豊富な皮下脂肪の蓄積が眼に飛び込む。消耗性疾病や飢餓死が否定される。
 開腹。内臓に激烈な感染症や中毒などを示唆する出血や腫瘍などまったく無し。たとえば,グリッド(咀嚼を補助するために定期的に筋胃に取り込む小石)ど間違えて,融雪剤を飲み込み塩中毒になり,自色の痛風結晶のようなものが腹腔から内臓表面に付着する(Friend and Franson,1999)。私の経験では,英国の融雪剤は小石(岩塩)そっくりで,鳥が間違えても無理はないと思った。しかし,こういった結晶も認めず。
 もちろん,肉眼的には異常を全然示さない疾病もある。が,そういった病原体(ウイルス,細菌,原虫,嬬虫,節足動物など)あるいは環境汚染物質(いわゆる「環境ホルモン」や重金属など)の保有状況検査が我々の目的なので,研究べ一スで粛々と行っている。異常があれば,研究メンバーから報告されるし(現段階で特別な報告は得ていない),今はわからなくても,余剰のサンプルは冷凍保存をするので,後日,必要となれば再検討も再能である。
 むしろ,一気にすべてのことが明らかになることはまずないし、野生動物死因解析の手段が現状では未熟であるが,将来は進展するはずである。従って,このようなサンプル保管に力点を置かざる得ない。死因解明が緊急性の高いことは,よく判るのだが,一般社会はもう少し,この点を理解して,寛容になってもらいたいものである。
 さて,次は消化管内部の検査である。寄生虫を調べたくて獣医学科に進んだ著者にとって,もっとも充実した時間である。実体顕微鏡の下で丁寧に調べるが,多量の内容物が邪魔をする。寄生虫を探す上では障害物以外の何ものでもない食物残渣は,しかし,死直前まで食欲があったことを示す証拠である。アニサキス類がいた!なんと黒染している。一緒に解剖をしていた大学院生の吉野君は,そういえば,石狩新港の油汚染事故の時もこのような現象を見たという(吉野ら,2005)。油汚染と寄生虫の黒染の関連性。新たなテーマが誕生した瞬間である。でも,まず,死因追求の続行である。
胃の中で発見された油のようなもの:「おお、胃粘膜に黒褐色粘液が付着しているぞ!どうやら,こいつらは油に接するまで,元気に生きていた。そして,油まみれで,もがき苦しみながら死んでいった(さあ,その情景を思い浮かべてみよう。心砂漢のオヤジですら何度も目頭が熱くなる)。中には,必死で羽繕いをする奴もいただろうし,そうなると,(胃から油が見つかったのだから)飲み込んだ奴もいるだろう」
 我々は再び蓋然性の罠に直面した。
「胃の中にあったのが油だとして,別の海域で採餌した魚などに付いていた別の油である可能性はないのだろうか?」(疑問1)
「もし,それが体に付着したものと同じであることを言いたいのなら,そのような証明が化学的にできるのだろうか?」(疑問2)
「そもそも,死んでから胃の中に入ることはないのだろうか?」(疑問3)
疑問1=可能性はある。この時期のオホーツクである。密漁船も含めモロモロの船が行き交う現場である。沿岸域を含め,様々な油が海面には漂っているだろうから。
疑問2=難しいと思う。微量で,しかも,外界に石油分解菌がウヨウヨいる。関連する微生物群(細菌,真菌)属名だけを見ても(Vibrio, Pseudomonas, Bacillus, Corynebacterium, Mycobacterium, Nocardia, Actinomyces, Aspergillus, Penicillium, Candidaなど)体内にいるものと同じものも多い (元廣,1994)。そうなると,飲み込まれた油はこれら微生物により化学変化している可能性が高い。なお,これは,いわゆる二次被害個体と目される消化管から油が検出されても,同様な疑問が提示されるので念のため。
疑問3=わからない。ヒトの死体を水中に投入した場合,水は胃にまで侵入するが小腸には入らない(城ら,1987)。だからといって,海鳥で粘度が高い油の事例に外挿するのは少々乱暴だろう。実験が必要である。したがって,油を飲み込んだという可能性は,ひとまず脇に置く。
はっきりと判ったこと:皮下脂肪の存在,腸内の内容物貯留,内臓およぴ外貌所見から,ウミスズメ類が油に接する直前まで健康であったことは確かである。また,死体がきわめて良好であったことから,周辺環境は体が凍結状態におかれる程度に低温であって,発見時まで継続したこと。そして,付着していた油は,きわめて粘性が高く,いったん付着すれば容易に除去できないもので(後に,C重油と特定されるが,剖検時には油の分析結果無し),これが体全面に付着していた。
消去法で残った死因:油付着以外に死因と見なせるものはなかった。しかし,油暴露後,数日から十数日程度の期間により生ずる胸筋の退縮,胃潰瘍,腸粘膜出血,塩類腺の腫大などはなく(Friend and Franson,1999, Ba1seiro et a1., 2005),油暴露後,急速な体温喪失による致死が推察された。また,羽毛から空気層が消失するので,浮力喪失による溺死個体もあっただろうし,油付着の程度や部位(鼻孔・喉頭開口部など)によっては気道閉鎖による窒息も考えられる。中には,これらが複合して死に至った個体もあったろう。
 しかし,低体温,溺死,窒息を明確に示唆する所見が得られていない。たとえば,ヒトの低体温死では血色素ヘモグロビンと酸素が結合しやすく,また解離し難いため皮膚などの組織の赤味が強くなるというが(城ら,1987),海鳥のように,常態で赤味が強い(ミオグロビンが多い)ものでは観察しにくい。また,溺死で頻発の気道内泡沫状物などは未確認であった。
 送付されたのはオンネベツ川と幌別川の河口周辺にて拾得されたもので,5000以上が見つかっている中の5個体を調べただけである。材料バイアスの可能性もあるが,少なくとも剖検した個体では,他に有力な死因が見あたらなかった。

油流出事故はいつ・どこで・どの程度の規模で起きたのか?
最大の関心事:道庁から我々への依頼内容には,このようなことは,当然,含まれてはいない。が,一般にもっとも関心があるのはこれらである。幸い,これらは海洋科学や気象の専門家が,我々と違ってより自信を持って取り組んでいるはずである。
 しかし,ある程度の油汚染事故発生の時空間とその規模の推定は,
「いつ・どこで・どのような方法で海鳥は死んだのか?」という疑問に答えることで,その助けにならないだろうか。そこで, ad hocなforensic vetとして,以下のような今後の課題を掲げたい。
体内に残留する珪藻:溺死が確実となり,かつ,ヒトと同じように珪藻類の能動的な体内取り込みが(城ら,1987),鳥類でも同様ならば,溺死した時期と場所の推定が可能になる。珪藻類は水環境に偏在するプランクトンで,海水・淡水・季節・水域などの違いで特色ある種類が出現する。また,きわめて丈夫な外骨格は,死後変化したものでも同定可能である。法医学では,溺死が疑われる死体で常用される珪藻法diatom methodが確立されており(城ら,1987),その野生動物医学への応用は容易であろう。その
ような時期が来るまでサンプルを残しておく。
餌(消化管内容物)あるいは餌由来同位体が教えてくれそうなこと:胃や腸に消化途中の内容物が認められたが,これらの中に,出現時空間に特異的なものがあれば,それが鍵になる。また,松原・南(1998)によると,骨コラーゲンの安定同位体分析により,海鳥類の採餌場所が推定可能であるという。
生態指標としての病原体・環境汚染物質:死因の原因としてではなく,(死に至る直前の)鳥の行動や生活圏を推定する指標として,ウイルスや寄生蠕虫などの共生・寄生体,体内に蓄積された汚染物質が応用される可能性はあろう。もっとも,このような応用には詳細な基礎的な情報蓄積とデータベース化による分析が前提となる。このような目論見も,長氏の計画には副産物として含まれている(本ニュースレター関連記事参照)。
油の性質と鳥の行動との関係
:また,死の引き金になった重油層と接触は,滴の拡散・溶解・沈降などの過程で(元廣,1994),偶然,餌の魚群に類似した形状したことは考えられないだろうか。たとえば,鳥の採餌行動から,油の広がりを推定することも,ある程度解析可能になるのではないかとも夢想している。
白骨死体を語らせる:今回,WAMC搬入個体数は9。残り4はウミガラス類で,いずれも変性が著しく,羽毛,皮膚,骨,僅かに残った内臓がかろうじて繋がっているものに,油が被さっている感じである。たまたま肝臓が残っていたものが1個体あったが,その色調をウミスズメ類と比較すれば,その差は歴然で,まさに腐った塩辛状である。完全な白骨化であった。そのために,死因検討の対象外とされたが,よく考えると,ウミスズメ類と同じ時期に死んだとは思えないほどの死後変化が進んでいる点は,大量死が少なくとも2度あったとは考えられないか。
 また,軟部組織が見事に消失している白骨化は,鳥や獣のような汚い食べ方ではなく,ヒトの溺死体でも観察されるフナムシ類によるものであろう。きわめて短時間に軟組織が食い尽くされるというが(城ら,1987),このような食われ方が死後最低どの程度の時間を要するものだろう。このようなことが判れば,ウミガラス類の死亡時期とウミスズメ類の死亡時期の間隔が推し計れるだろう(死体現象の究明)。
蓄積・残余した脂肪量:秋口に脂肪蓄積が最大になり,厳冬期に脂肪を燃やしながら越冬するので,2から3月には脂肪蓄積が少ないという。このようなことが数値的に明確になれば,脂肪の残量が死期推定に応用できるかも知れない。

事例その2.旭川のスズメ大量死の場合
背景:スズメは陸鳥であり、道庁の仕分けとしては北大の梅村先生が死因解明を行うものである(前述)。それが,なぜ,本学で死因解明をするような誤解が生じたのか。
 4月6日、C重油の香りがまだ消えないWAMCに,上川支庁からスズメ9個体が送付された。当該支庁のO氏は10年来の知り合いで,何でも,旭川では大量のスズメの死体が発見されているという。彼は,我々のサンプリング計画を知っているので,その材料の一環として送ってくれた(もちろん,研究用なので送料はこちら負担)。しかし,到着したその日は本学の入学式であり,新入生に係わる企画が目白押しなのである。それに,旧年度の膨大な計画書や報告書が残余し,他にも処理しなければならない死体が残余するので,とてもスズメどころではなかったので冷凍庫保存を決めた(そのようなストックがいかに多いことか)。
 が,4月11日,定山渓で行われる新入生のための宿泊研修の最中,スズメ大量死の死因分析が本学に依頼されていた(?)ことを新聞社やTVの取材申し込みの電話で初めて知った。
「死因は何か?解剖はいつするのか?」
というもので,道庁か上川支庁は,こちらに直接,問い合わせよとしていたようだ。通常,このようなことは考えられず,どこか命令系統に混乱があることが直感された。しかし,確かめる余裕はなく,マスコミ攻勢の土石流に押し流され,5個体を解剖をした。この前日,たまたま,学部の飲み会で隣になった病理の同僚,岡本実講師が興味を持ってくれたので4個体を渡した。サンプリングは5個体で十分であり,すべてをこなす時間はない。
 しかし,スズメの大量死件は,1月に非常に状態の悪い死体が北大に送付され,分析不能という返答をしており,現在,新鮮な死体の到着を待っているという。いずれにせよ,同じ現象に由来するであろうものを,2つの大学で死因分析が行われるという事態になった。本文を書いている5月10日現在,最終報告はないが,最終的な結論は北大から提出されるので,そちらをお待ちいただきたい。本学では,死因解明の補助となる病原体・環境汚染物質の簡単な検査と保存などを依頼されたので(2006年4月5日付け,上川支庁長から本学学長宛の依頼書),そのことを中心に記したい。なお,こちらの検査もすべてが終了している訳ではなく,基本的に研究べ一スの仕事をので,いくらマスコミが大騒ぎしても,各研究者を特に急がせてはいないことをお断りしておく。
所見:外貌はほぼ正常で,事故,密猟などの損傷は認められず,1例に焼け焦げ部を認めるが,生活反応vita1 reactionはなく、死後,焼却途中のものが再拾得されたことが推察された。開腹。まず,インフルエンザウィルス簡易試験キットおよびウエストナイル熱ウイルス簡易試験キット(VecTest:米国Medical Analysis Systems, Inc.社:同ウイルスのモノクロ抗体を用いた鋭敏なもの)を5例について実施し(検査材料:喉頭・気管粘膜および/あるいはクロアカ内容物),全例陰性を確認した。
 栄養状態の指標である胸筋の状態は正常で,ほぼ全例に消化管内に食物貯留していた。皮下脂肪はほとんど認められなかったが,越冬の終盤では常態である。
 内臓・消化管は死後変化が顕著で,ほとんど融解しているが,ウイルス感染やクロストリジウム性腸炎のような顕著な出血傾向,アトキソプラズマ症や結核などのような実質臓器の結節病変などは認められなかった。
 直腸内容物を少量,スライドグラスに直接塗沫してアトキソプラズマのオーシストや寄生蠕虫の虫卵など検査するが全例陰性であった。1個体ではそ嚢の内壁が肥厚し,周囲と癒着しており,慢性炎症が認められた。病理組織標本が作製された5例中全例で,細菌性そ嚢炎が確認された(前述の病理学・岡本講師による)。このうち,1例の病変部を細菌培養したところ,ほぼ純粋なブドウ球菌のコロニーが得られた(伝染病学・菊池直哉教授による)。
結論:以上から,何らかのスズメの免疫抵抗力を落とす要因が背景にあり,日和見感染としてブドウ球菌性そ嚢炎などが発病し,大量死の一部を構成していたことが示唆された。欧米での類似事例として,冬期にのみ発生するサルモネラ症の大量死に酷似する(Friend and Franson,1999; Refsum et al., 2003)。5年前,冒頭紹介した私のロンドン滞在時も,餌台の周りで発見されるイエスズメやグリーンフィンチの死体を検査し,そのそ嚢からサルモネラとされた菌塊がごろりと出てきて,大いに驚いたものだった。そ嚢炎起因菌種は異なるが,冬期餌台がスズメの細菌感染センターの1つになっていた蓋然性は高い。
 ただし,この冬にあったような大量死を引き起こしたような要因が,餌台への過度集中=細菌感染の拡大とするなら,その要因は何なのか。いまだ,闇の中である。

おわりに
 我々の荒っぼい緊急避難的な対応と平行して,法医学的な分野を獣医大学の教育研究に一刻も早く導入し,信頼の置ける学問基盤を構築すべきである。具体的には,獣医病理学が基盤となり,毒性学や感染症学が脇を固め,既存の医科大学の法医学や科学捜査技術の専門家の全面的な援助により準備をすれば,国外のforensic veterinary medicine直輸入に頼る必要はない。このような新規分野旗揚げの試みでは,フットワークの軽さが決め手となる。そして,そのような役割は若い野生動物医学会だからこそなしえる。
 死因追求は1人ではできない。チームワークの結晶である。特に,事件発生場所に近接した専門家にその調査を依頼すべきで,行政の方々はこの点もご検討いただきたい。
 今回も,本学員で北海道・サハリン・極東ロシアを舞台狭しと活躍する保全医学者・齊藤慶輔氏(猛禽類医学研究所)らが,知床でいち早く活動されていた。旭川では,保全医学の中心的研究機関でもある旭山動物園の獣医師で,日本野生動物医学会認定専門医(勲物園動物医学)第1号,福井大祐氏が対応されていた。
 告白しよう。短い場合はTVカメラの前で解剖をさせられ,以上長々書いたようなことを説明しなければならないのは,酷である。まして,私のような中途半端な腑分け屋が担うべきものではない。こういった人材がいるのだから,私は罷免してもらいたい。
 が,泣き言はばかりを言っておられない。塩辛だろうが,ミイラだろうが,腐った死体から逃げてはいられない。
「ここは判るが,そこば判らぬ」
だけでもよい。何らかの知見を提示すべきである。ライフワークを構成する生物地理疫学の論文1つで,「間違った仮説だって何にもないよりましだぜ。だってそうだろ,科学って奴は検証可能な仮説の積み重ねで進歩するのだから(a fa1se hypothesis is better than hypothesis at all. Science has progressed only by putting up series of hypotheses to be tested)」と書き殴って閉じたことがある(Asakawa.1991)。まさか,このような形で,もう一度使うことになろうとは誰が予想し得たであろう。
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