酪農学園大学は、
一人の青年の熱い想いから
始まった。

酪農学園大学は創立時から変わらない想いを受け継いでいます。
それは一人の青年が生涯をかけた使命感から生まれたもの。
そして北海道の酪農の振興と歩みを同じくするもの。
創立者・黒澤酉蔵の軌跡の中には、本学に息づく建学の精神があります。

黒澤酉蔵

酪農学園大学は創立時から変わらない想いを受け継いでいます。それは一人の青年が生涯をかけた使命感から生まれたもの。
そして北海道の酪農の振興と歩みを同じくするもの。
創立者・黒澤酉蔵の軌跡の中には、本学に息づく建学の精神があります。

創立者・黒澤酉蔵

田中正造との出会いが思想の原点

信念みなぎる酉蔵翁

1885(明治18)年茨城県久慈郡世矢村(現常陸太田市)に生まれる。20歳で北海道に渡り、牧夫になる。以後、96歳までの生涯をかけて酪農の振興に尽力し、農民のための会社を立ち上げ、農民のための大学をつくった。その業績から日本酪農の父と呼ばれる。

茨城の貧しい農家に生まれた酉蔵は、14歳で学業を志して東京に出ました。住み込みの仕事をしながら学校に通う中、16歳のときに足尾鉱毒事件で田中正造氏を知り、その正義感と人間愛に感銘を受けます。この出会いが酉蔵の一生を決定づけました。田中正造氏は、人間にとって国土がいかに大切かを語り、「健土健民」を理想とする酉蔵の思想の根がつくられたのです。鉱毒によって田畑を汚染され、健康を損なった農民救済のため、酉蔵は「青年行動隊」の結成を図りましたが、被害救済をめぐる世論が広がっていたときだけに、官憲は彼を極端に警戒しました。「反対運動よりも示談が得策だ」とする農民を説得しようとしたところ、酉蔵は逮捕・投獄され、6ヵ月間の未決拘留の後、無罪の判決が下されました。しかし、この獄中での聖書との出会いが、その後の人生に大きな影響を与えました。

健土健民

「健やかな土地から生み出される健やかな食物によって健やかな生命が育まれる」
この理念は本学の前身「北海道酪農義塾」から脈々と受け継がれてきた実学教育の核をなすものです。

北海道に渡り、酪農の発展に尽くす

田中正造氏の援助によって学業を修めていた酉蔵でしたが、母の死を契機に貧しい弟妹を守るため、20歳で北海道に渡りました。宇都宮牧場の宇都宮仙太郎氏から牛飼いは「役人に頭を下げなくてもよい」「牛が相手だからウソをつかなくてもよい」「牛乳は人々を健康にする」という酪農三得を教わり、酉蔵は一生を酪農に捧げる決心をします。1909(明治42)年に牛1頭を借りて念願の酪農自営を果たしました。事業にまい進する中で北海道畜牛研究会を結成し、生乳が余って酪農家たちが危機に立たされた時には、酪農家自らが製品をつくって売る北海道製酪販売組合(現在の雪印メグミルク)を立ち上げました。こうして北海道酪農のリーダーとなった酉蔵は、寒地農業に必要なのは酪農を軸とした「循環農法」でなければならないとの思いを強くします。

循環農法

「地下資源には限りがある。しかし土の寿命は尽きることがない。その生命力を育てれば無尽蔵の資源となる」「農業とは天地人の合作によって、人間の生命の糧を生み出す聖業である」ことから、人と自然が共生し、物質やエネルギーが循環するシステムをつくる思想。
「循環農法」は「健土健民」思想の実践といえます。

循環農法図

すべては農民教育のために

「人が育たなければ、酪農が育つわけがない」、酪農家の組織化運動のなかで教育の必要性を実感した酉蔵は、1933(昭和8)年に酪農学園大学の前身である北海道酪農義塾を開校します。不毛の大地を酪農によって沃野に変えたデンマークを手本としました。当時は全寮制で学生は農場の一員となり働きながら学ぶ実践学を徹底。卒業生たちは地元に帰って酪農のモデル経営者として活躍するなど、酪農の発展に貢献しました。その後、1950(昭和25)年に酪農学園短期大学を開校するに際し、キリスト教の聖書からとった「三愛主義」を建学の精神として教育の根幹としました。そして、1960(昭和35)年には酪農学園大学を開校しました。

三愛精神
三愛主義

本学の人間教育は、神を愛し、人を愛し、土を愛す、「三愛主義」に基づきます。
「神を愛し」とは善き人になろうと努力すること、「人を愛し」とは互いの違いを受け入れて生かしあうこと、「土を愛す」とは大地を健康に育てること。この3つの愛が合わさって初めて、健やかな人と大地が生まれます。

未来へ受け継がれる想い

2020(令和2)年に酪農学園大学は60周年を迎えました。時代とともに学びの分野が酪農から農業や食品、獣医、自然環境まで広がりましたが、その根本に流れる思想は一貫して変わっていません。「健土健民」の理念のもと一人ひとりの個性を磨き、身に付けた知識や技術を社会で活かす力を育む「実学教育」を実践し、知識だけでなく行動を伴う「知行合一」を目指しています。酪農を通じて人の真の豊かさを追い求めた酉蔵の想いは、今もこれからも生き続けていきます。

知行合一

単に知識を身に付けるだけではなく、知識と実践は一体であることを意味しています。「健土健民」の思想の下で高邁な学識技能を有する「知行合一」の有能な農業人ならびに社会の人材を養成することを本学の目的としています。

黒澤酉蔵の主な足跡と業績

黒澤酉蔵著「反芻自戒」(1972年酪農学園発行)より

国土の汚染
国土は国民の母体であって、健全なる国土からは健全なる国民が生まれるし、不健全な国土からは不健全なる国民が生まれる。国土を汚染、毒化することは、国民を知らず知らずの間に滅亡におとし入れる重大なる罪悪と言わねばならぬ。国土の清浄化、健全運動こそすべてに先んじてなさねばならぬ緊急事ではあるまいか。私は数十年来、健土健民を主張しているが、今やさらに声を大にして叫ばねばならぬ。

満足と希望
幸福は満足する人に集まり、不平不満の人からは逃げ去る。不平不満は感謝することを忘れた人に生まれる。毎日を感謝して送るから満足する。満足するから明日の希望が生まれる。これが本当の人生である。不平不満だけを並べてついには生活の希望を失い、自暴自棄に陥り、あたら一生を棒にふる気の毒な人を見受ける。この病原は感謝する、ありがたいという人間の良識を忘れ驕慢(ぎょうまん/おごりえらぶる)菌に侵されているからである。

黒澤酉蔵の師・宇都宮仙太郎

宇都宮仙太郎氏は、黒澤酉蔵の人生において、田中正造翁とともに最も影響を受けた恩人の一人でした。
宇都宮氏やその弟子黒澤酉蔵を中心としたデンマークモデルの推進者たちの努力により、北海道酪農は短期間で著しく発展しました。

参考文献