役立つ研究で社会に貢献(獣医学類 獣医生化学ユニット 岩野英知教授,藤木純平助教)

 獣医学類獣医生化学ユニット(岩野英知教授・藤木純平助教)は、身体や病気の仕組みを化学物質レベルで解明する研究室。主な研究テーマは①薬物代謝酵素、②バクテリオファージ、③腫瘍マーカーの3つ。発足から40年の歴史を持ち、獣医学類でも人気を博する研究室の1つだ。岩野教授は、「基礎研究にとどまらず、臨床に役立つ研究で社会に貢献したい」と語る。

岩野英知教授(前列左)と藤木純平助教(同右)

 生化学とは生命現象を化学的に研究する学問。細胞の中にはさまざまな化学物質があり、生命現象は化学物質の変化としてとらえることができる。細菌やウイルス、化学物質などが体内に入って病気を起こすとき、細胞内の化学物質や遺伝子がどのように変化するかがわかれば、次の段階として病気を治す方法が見えてくる。
 獣医生化学ユニットが40年前の発足当時から取り組んでいるテーマが薬物代謝酵素だ。体内には、身体に必要なさまざまな化学物質を作り出すとともに、体内で不用となった化学物質や、体外から入ってきた有害な化学物質を無毒化するための薬物代謝酵素がある。
 2000年代に内分泌攪乱物質、いわゆる環境ホルモンが大きな話題になった。プラスチック容器が劣化したり熱が加わったときに、女性ホルモンに似た物質が溶け出し、男性の体内に入ると精子に悪影響があると言われた。獣医生化学ユニットの前任の横田博教授は、その化学構造を見て、薬物代謝酵素により無毒化されるのではないかとの仮説を立て、実際に生体内で無毒化されていることを世界でもっとも早く報告した。
 同ユニットでは引き続き内分泌攪乱物質と酵素の働きについて研究を進めている。妊娠中の母体が環境ホルモンを摂取したとき、肝臓が作る酵素によって無毒化されるが、胎盤を通して胎児に取り込まれたとき、元の物質に戻ることで毒性が発揮されるリスクについて報告を出した。胎盤や胎児にどのような影響があるか。懸念されるのは、化学物質が脳に与える影響だ。これまでの研究では、奇形の有無で毒性が判断されてきたが、一見正常な身体でも、将来、鬱の発症率が高くなるなどの影響が懸念されている。
 体外から細菌が入ってきた場合、通常は抗生物質が使用される。ただ、近年、いろいろな抗生物質に耐性を持つ多剤耐性菌が問題となっている。そこで注目されているのがバクテリオファージだ。バクテリオファージとは、細菌にだけ感染するウイルスの総称。特定の細菌に取り付き、遺伝情報を細菌内に送り込んで増殖、最終的には細菌を破裂させて外に出てくる。ファージのこうした性質を利用して多剤耐性菌を退治しようというのがファージセラピーだ。
 ファージセラピーは、東欧で活発に研究、臨床応用が進んできた歴史がある。西側諸国では、1928年にペニシリンが発見されて以降、大量生産が可能で安価な抗生物質が感染症治療の中心的役割を担い、研究開発が行われてきた。一方、東欧諸国では、1915年にトゥオートがファージを発見、2年後にデレルによりファージの溶菌作用が発見されて以来、ファージセラピーの研究や臨床応用が展開されてきた。

 獣医生化学ユニットでは、2007年にファージセラピーの研究をスタート。まず手掛けたのは、黄色ブドウ球菌(SA)が主因菌となるウシ乳房炎だった。SAに対するファージを排水中から分離、精製。ウシ乳房炎から分離したさまざまなSAと、ヒト由来MRSAに高い溶菌活性を持つファージを選び出し、乳房炎モデルマウスにおいても効果的な溶菌作用が得られることを突き止め、同ファージの特許を取得した。また、ウマの緑膿菌性角膜炎に対するファージセラピー効果を検証し、実用的な使用法についても報告。このデータは、獣医学術学会賞(獣医師会)を受賞している。
 さらに、ファージの溶菌システムを使った治療法としてファージ由来溶菌酵素の開発を手がけている。細菌の細胞膜を破壊するファージ由来酵素エンドライシンを単離・精製。生体内におけるSAに対する溶菌作用を確認している。この酵素は、薬剤耐性菌に対して急速な溶菌活性を示すため、細菌が耐性化しにくく、抗生物質との併用効果やバイオフィルムへの適用効果、遺伝子工学的な改変を通した機能修飾が可能であることから注目を集めている。
 同ユニットでは現在、約100カ所の農場から汚水を採取している。
 「自然界にはたくさんファージがいます。細菌がいれば必ずファージがいる。採取地点によりファージも違い、ウシの病気に対応するファージを集めています。日本ではヒトの臨床事例はありませんし、動物でもマウスでの実験データはあっても、臨床事例はありません。動物の感染症に効果があるということをどこよりも先駆けて実証したいと思っています」(岩野教授)
 3つ目の研究テーマは、犬や猫の病気を発見する簡易な診断方法の開発だ。近年、犬や猫の獣医師を希望する学生が増えたことに対応し、診療の現場に即した研究テーマと言える。一例としてガンがある。体内に腫瘍ができたときに、血液中や排泄物中にたんぱく質や酵素、ホルモンなど特定の物質が増える。これを腫瘍マーカーといい、ヒトの場合、血液を使った検査で13種類のガンを見つけることができる。一方、ウシやブタなどの家畜動物はその寿命が短く、ガンが問題になることは少ないが、犬や猫はある程度寿命が長く、ガンに罹るケースが増えている。血液検査だけでガンの発生を検知できれば、早期発見、早期治療が可能になる。一見、健康に見えても犬や猫は自分で体調不良を訴えることができない。簡易な検査で診断を下せるようになれば治療にも費用面でも利点が大きい。
 獣医学類の学生は1学年約130人。4年生になると20余りある研究室に数人ずつ配属される。中でも獣医生化学ユニットは、「幅広い研究テーマを扱っており、とても人気のある研究室です。その分、優秀な学生が集まってきます。卒業論文が専門学会で賞を獲得することも多い。2019年度も6年生が2人全国レベルの賞を取り、大学院生も藤木先生も獲得しています。みんな楽しみながらのめり込んでやっています」(岩野教授)と話す。
 「基礎研究というと小難しい感じがしますが、臨床や病気を減らすことに役立つ研究で社会に貢献したいと思っています」

(月刊ISM 2020年3月号掲載)