ヒグマ問題を“自分事”に(環境共生学類 野生動物生態学研究室 佐藤喜和教授)

 農食環境学群環境共生学類野生動物生態学研究室(佐藤喜和教授)は、北海道の森林を代表するヒグマを対象に、生態解明と適切な保護管理を目指し、フィールドワークを通じて野生動物の生態を探る。野生動物の生態を明らかにすることで野生動物への理解を深め、その保護管理に不可欠な情報を提供する。

 近年、札幌圏ではヒグマの出没が相次いでいる。昨年6月10日、江別市・札幌市・北広島市にまたがる道立野幌森林公園に78年ぶりにヒグマの出没が確認され、7月中旬にかけて森林公園および周辺で目撃情報が相次いだ。8月7日には札幌の南区藤野のトウモロコシ畑にヒグマが出没。以降、藤野・簾舞地区で畑や住宅街をうろついたりトウモロコシなどをむさぼるヒグマの姿が新聞・テレビで連日報道された。
 本来、深い森の中で暮らすヒグマが人里近くに出没するのには理由がある。野幌森林公園に入り込んだのは若い雄。佐藤教授は、
 「この10年ほどの間に北広島で数頭のヒグマが駆除されています。私は『そのうち野幌森林公園にも来るから備えた方がいい』と言っていました。5~7月の出没期は若い雄クマが多い。ヒグマは生まれて1年半ほどは母クマと一緒に生活し、その後、親から離れ新しい棲息地を求めて分散します。近親交配を避けるためです。多くは森の中に入っていきますが、まれに好奇心旺盛なクマが人里に現れる。野幌森林公園に来たのはそういうクマです」
 一方、8月に藤野に入ったヒグマについては、
 「8~9月は森に餌が少ない時期。草は固く、木の実はまだ実っていない。森の周辺に広がる農地ではちょうどトウモロコシが実を付け、札幌圏では果樹園がフルーツ狩りの季節を迎えます。森の餌とは比べようもなく甘く、量もたくさんある。お腹を空かせたヒグマが畑や果樹園に美味しい食べ物があることを覚えると、当然、食べに来ます」
 そんなヒグマとどう付き合えばいいのか。佐藤教授は「電気柵を張る、畑の周辺の草刈りや雑木の伐採などが効果的です」という。だが、農家の費用対効果を考えると電気柵は費用がかさむし、草刈りや伐採は人手がかかる。しかたなく、猟友会に駆除してもらえばいいと考えがちだ。だが、
 「山奥にはたくさんのクマがいます。1頭駆除しても、次の年にはまた別のクマが出てくる。状況は何も変わらず、問題は何も解決しません」
 札幌圏を含む石狩西部地域個体群(恵庭積丹地域個体群)は、かつて生息数が減少し「絶滅の恐れのある地域個体群」として環境省と道のレッドリストに掲載され、保護対象となっている。その結果、個体数が増え、分布も拡大し、人間との衝突の機会が増えていると考えられる。
 同研究室では、浦幌町を拠点に白糠丘陵に棲息するヒグマの研究を続けている。佐藤教授が学生時代から手掛けている地域で、すでに20年以上継続している研究対象だ。
 「農村地域ではこの30年来、畑に出てきたクマを駆除するということを繰り返していますが、被害は一向に減りません。札幌圏でもそれに近い状態になりつつあります」
 札幌圏と農村地帯には違いがある。札幌の魅力は、人口200万人の都市でありながら、身近に豊かな自然があること。都市の利便性と豊かな自然環境が両立しているのが札幌だ。“豊かな自然”は観光資源にもなっている。

 そんな札幌でクマ問題が発生した。10年前まで、札幌の住民にとってクマ問題は農村地帯での問題だった。それが数年の間に身近な問題となった。他人事ではなく“自分事”になったのだ。
 「クマも“豊かな自然”の構成要素の一つ。そのクマを出てくる端から駆除するというのはいかにもバランスが悪い。世界に発信し続ける北海道の魅力という点でも良くないと思います。原因も考えずに駆除するのではなく、スマートな対策を考えましょう」
 という佐藤教授の話を「札幌の人たちは聴いてくれる」。そこが農村部との違いだ。
 ヒグマの目線で考え、なぜクマが市街地に出没するのかを明らかにする。その情報を地域や社会が共有し、クマも人も安心して暮らしていける仕組みを作るのが佐藤教授の目指すところだ。

 好例がある。札幌の真駒内公園をはじめ、南区には毎年多くのヒグマ出没情報がある。だが、石山地区だけは出没が極めて少ない。地元の人たちが河川管理者から許可を得て穴の川沿いの緑地に「ハーブの小径」を整備しているのだ。草刈りをし、花やハーブを植え、散策路とした。月に3回ほど自由参加の住民たちが集まって花壇を整備している。楽しいから人が集まってくる。気持ちがいいから人が歩くようになる。気づけば石山地区では2013年を最後にクマが出なくなった。ここにヒグマとの付き合い方のヒントがある。佐藤教授は、
 「札幌圏には北海道の半分の人が住んでいます。それまで農村部の問題だったクマ問題が道民すべてにとって自分の問題になった。札幌圏の住民がクマ問題に向き合い、ただ駆除するだけではない対処方法を見出すことができれば、それを道内各地に普及させることができるのではないか」

 ゼミ生は院生・研究員を含めて20人。
 「野生動物に興味がある学生が集まっています。フィールドワーカーとして野生動物が棲む森の中を歩いて調査できる力を身に着けてほしいと思っています。地図とコンパスを持って山の中を自由に歩き、クマの糞や足跡などの痕跡をしらべ、記録して帰ってくる。それが当研究室の学生がマスターすべきことです。年間70日くらい山に入っている学生もいます」
 卒業生の就職先は環境省のアクティブレンジャーや道の環境技術職、民間の環境コンサルタント会社や農協など。
 「卒業生は、森やクマのことを自分の言葉で語ることができます。クマ問題はどこでも必ず起こりますから、そこで卒業生がその理由や対応の仕方を伝えてくれると思います」

(月刊ISM 2020年5月号掲載)