モニタリングで病気を予防(獣医学類 ハードヘルス学ユニット 及川 伸 教授)

 ハードヘルス学とは、乳牛の群(herd)の健康を維持・向上することを目的とする学問という意味。ハードヘルス学ユニット(及川伸教授・獣医学群長)では、乳牛群の環境モニタリングにより、病気の予兆をキャッチし発病を未然に防ぐこと、飼養管理を改善し農場全体の健康を向上させることを目指して研究を進めている。

 産業動物を対象とする獣医学は、個体の病気に対応し診療・治療する従来の獣医療から、予防医学的な視点に立って動物群全体の健康を維持・向上するハードヘルス学へとシフトしてきている。その背景には、農家戸数が減少し、1戸当たりの飼養頭数が増加していることがあげられる。
 「私も以前は個体の内科診療を行っていましたが、産業としての酪農業に寄与するには、集団に目を向ける必要があるということで、2008年にハードヘルス学の教室が開設されました」(及川伸教授)
 個体診療の場合は臨床的な症状に対応するが、集団を対象とする場合、自ずと予防的な観点が求められる。例えば、乳牛が乳房炎に罹ると抗生物質による治療が必要となり、完治するまでの数日間、乳を出荷できず、廃棄しなければならない。集団で乳房炎が多発すれば多大な損失となる。乳房炎に罹る前にその予兆をキャッチし、対策を講じることができれば、未然に発病を防ぎ、損失を回避できる。
 「産業動物は人間に管理され、一定の環境で過ごしています。したがって、病気の種類や時季はある程度固定化されています。例えば乳牛は乳を搾るので、乳房炎に感染する可能性が高く、特に、分娩前後にリスクが上がる。そこで、その時期にターゲットを絞って予兆をつかみ、予防的に対処します。また、集団に何らかの問題がある場合、その原因が飼
養管理にあることが多いです」
 そのためにハードヘルス学ユニットが行っているのが定期的な環境モニタリングだ。大学農場を含む4つの農場を3週間~1カ月に1度、定期的訪問し、乳牛の行動と身体的変化を観察し、血液検査を行う。ゼミ生は大学農場でモニタリングに必要なスキルを身に着けた後、学外の農場に出向いてモニタリングを行う。
 「牛の行動は、寝る、餌を食べる、歩く、搾乳する‐と大きく4つに区分できます。牛は12~14時間寝ますが、これが10時間以下になると、環境に何等かの問題があるのではないかと考えます。牛はリラックスして寝ている間に血液が循環し、乳房で血液から乳を作ります。1ℓの乳を作るのに400ℓ以上ものの血液が必要だと言われています。寝
不足になると、この循環が損なわれ搾乳量に影響します」
 このほか、基本的な環境モニタリング項目としては、体つきや太り具合を評価するボディコンディションスコア(BCS)、第一胃の膨らみ具合から餌を十分摂取しているかどうかを見るルーメンフィルスコア、感染症予防の観点から身体の汚れ具合を見る衛生スコア、血液検査などがある。また、実際の農場には、行政やJA、飼料メーカー、ノーサイなど様々な団体・企業が関係し、それぞれにデータを収集しており、そうしたデータも活用する。
 特に分娩前の血液検査では、血中の非エステル型脂肪酸(NEFA)を指標として用い、分娩後の病気の予防に役立てている。

牛の採食状況のモニタリング

体温チェック・糞便性状チェック

尾静脈からの採血

採取した血液を直ちに検査

「乳牛は通常人工授精により妊娠し、分娩を経て乳を出すようになります。分娩の前後3週間は、移行期と呼ばれ、身体の変化が大きく、病気になりやすい時季です。分娩前にNEFAを測定することによって、分娩後の病気を予測し、予防的措置を講じることができます」
 NEFAは餌を十分に食べられなくなることなどによって低エネルギー状態になったときに、脂肪組織に蓄えられた中性脂肪が血中に栄養補給として流れ出したもので、エネルギーバランスが低下していることを示す。分娩前の乳牛では、胎児が急速に大きくなり、生理的に餌を十分に食べられなくなることがある。血液検査によりNEFAを測定し、一定基準以上のNEFAが検出された場合、分娩後にケトーシス、第四胃変位、胎盤停滞、乳房炎などを発症する確率が高まるという。対処方法としては、アミノ酸や糖質などエネルギーに変わるものを与えることでエネルギーバランスの回復を図る。
 ハードヘルス学ユニットでは、外部企業と共同で、持ち運びが可能で、現場で結果が分かる血液検査機械を開発した。従来は、採血したサンプルを研究室に持ち帰って分析したり、臨床検査に出すなど結果が得られるまでに時間がかかっていた。そのため、検査結果が出た時にはすでに分娩が終わっている、ということもしばしばあった。
 「より早く対策を講じることができれば、予防効果も大きくなります。そこで、採血したらその場でNEFAの値が分かる検査装置を開発しました」
 新たに開発した検査機を使えば、採血後すぐに結果がわかるので、早期の対処が可能
になる。 
 「酪農学園大学は、健土健民、知行合一のモットーの下、畜産振興のために建学した大学です。獣医学群においても基本は同じ。産業動物獣医師を日本で最も多く輩出している大学でもあり、道内の産業動物獣医師のうち約4割は当大学の卒業生です。獣医師は病気になった動物の個別の診療も行いますが、根本を治さないと同じことの繰り返しになります。飼養環境を改善し、群全体、農場全体の健康管理を行うのがハードヘルス学です。現場のためにできた大学なので、研究成果を現場に還元することを第一に考えています。個別治療の場合は最善の治療を、集団の場合は最良の治療を目指します」
 同ユニットの今年度のゼミ生は6年生8人、5年生6人の計14名。ゼミの卒業生は全員獣医師の資格を取り、8割以上が産業動物を対象とする獣医師として活躍している。